今日は少し歴史を。
グーグル先生に聞くと、すぐ出て来る話ですが、
あえて書きたいと思います。
茶道は千利休が今に続いているお茶を確立しました。
その後、孫の宗旦に引き継がれ、宗旦が自分の子供達を
三千家と分けました。
宗旦の、三男が表千家、不審庵
になりました。
次男は前妻の子供です。
それぞれ、大名の茶の先生(茶頭)として、身を立てました。
そうやって血筋を絶やさないようにしたんでしょう。
裏と表? ごめんなさい、
お互いの門が隣にある気がするんですよね。
裏と表なのかしら?
とにかく場所が近いなんてものじゃないですよ。
武者小路だけは武者小路通りにあるため だそうです。
私は裏千家なので、他家の事はよくわかりませんが、
わかる範囲で。
昔はお点前もすべて一緒だったと思います。
幕末明治の頃、三千家各カラーを出したんだと思います。
今では、お点前はだいぶ違いますが、
それぞれ、流れるようで素敵です。
慣れた人達がお点前していますと、
ずーっと見ていたくなります。(笑)
皆それぞれ独自のカラーを出しながら
面々と利休さんの血を引き継いでいますね。
明治に入り、婦女子に茶道を進め、
礼儀作法修道の一旦を担うようにして
生き残りました。
それがどんどん大きくなって行きました。
お茶お花 と イメージが固まっています。(笑)
お茶ぁ? 堅苦しい、ダサい、足がしびれる。
と思われていますが、
お茶ほどお客様に心が籠った
おもてなしができるものはないです。
よく、外国の映画の中で、お誕生日など、
”サプラ~イズ” と言いながら、
皆でお祝いする場面を見ると思います。
人のお誕生日を一緒にお祝すると楽しいし、
プレゼントなどをすると、あげた方が、
いただく方よりも、嬉しい気持ちが膨らみます。
茶室の中の設えを覗くと、"サプラ~イズ” です。
わぁ とため息が出ます。❤
利休さんは素晴らしいものを残して下さいました。